★2018(平成30)年7月23日(月) 晴
昭和の終わりから平成の始めにかけて、愛知県庁クラブでは、長野県富士見町で夏期合宿を行っていました。
このころは「名岐駅伝」などにも出場し、正式名称どおり「県庁陸上競技部」の体をなしていました。部員のレベルもある程度の水準があったのです。恥ずかしながら私自身も名岐駅伝のメンバーに選ばれたいと、淡い願望を持っていたものです。
しかし、その後は部員の数もレベルも低迷し、予選会にも出場することができず、「県庁クラブ」となってしまいました。
さて、富士見高原での練習は、トラックでのスピード練習、高低差の激しい八巻道路での距離走、クロカンコースでのジョギングなどでした。標高が千メートルを超えるため、酸素が薄く、日差しが強い。いわゆる高地練習にはもってこいの場所でありました。
事実、当時の実業団や大学のトップクラスの選手も、ここで合宿をしていたのです。NECの浅井えり子選手や佐々木監督に出会ったこともありました。
宿泊場所は、鹿遊荘というスポーツセンターです。というより、合宿所でした。部屋は二段ベッドで、食事の時間も決まっており、規律ある生活ができるところです。ただ、食事が良くありませんでした。仕出し弁当のようなご飯とおかずで、味気ない内容でした。アルコールをとがめられた記憶はないので、その点は融通が利いたのでしょう。
当時の練習記録を先輩の保田さんに教えてもらいました。私の記録は次のとおり。
昭和60年7月12日 トラック 5000m 22分47秒
昭和61年8月30日 トラック 10000m 50分45秒
平成元年9月8日 トラック 5000m 22分53秒
平成元年9月9日 ロード駅伝 3km 12分55秒
平成3年8月24日 ロード駅伝 3km 13分20秒
一生懸命やったつもりでしたが、メンバーの中では最低ランク。名岐駅伝のメンバーどころではありません。苦しみ、もがきながら、付いて行くのが精一杯。自然と合宿から遠のいてしまいました。
その後、いつの間にか合宿自体が催されなくなってしまいました。
2000年頃、富士見高原合宿に代わって、「やぶはら高原ハーフマラソン」へのエントリーがクラブ行事として催されるようになりました。合宿と違い、激しい練習はないので、自分も気軽に参加できました。
当初は高低差の激しいコースと暑さを敬遠して、10kmの部に参加していました。しかし、クラブ部長の岩田さんにメインのハーフマラソンへの出場を何度も促されるので、一度挑戦して、免罪符にしてもらおうと考えて、2005年に初めてハーフに参加しました。
結果は2時間11分26秒。暑さと坂道に苦しみを味わいました。
そして、今年、売木村合宿に参加。還暦の体をいたわりながら、無理せず、マイペースでランニングをエンジョイしました。