◆2020(令和2)年2月23日(日・天皇誕生日) 曇時々雨のち晴
令和初の天皇誕生日。私にとって今年最初の探訪あいちの実施です。
美濃路は、東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ約14里24町15間(約57キロ)の脇街道です。七里の渡し(宮宿)から名古屋宿、清須宿、稲葉宿、萩原宿、起宿、墨俣宿、大垣宿、中山道との追分の間に7宿場があります。峠道や山道がなく、ひたすら平坦な道なのでサイクリングにはうってつけです。
今回はこのうち、宮宿から起宿までを往復する企画ですが、名古屋市の中心部を通過するため、周囲への影響を考慮して、参加人数を制限させてもらいました。
参加者は中高年男性ばかりの7人です。
宮の渡し公園を出発し、国道1号と国道19号・22号との起点となる交差点に架かる歩道橋を自転車を押して渡ります。
熱田神宮を右手に北上開始。左手には『源頼朝の生誕地』があります。
金山新橋南交差点角の道路脇に、美濃路と佐屋街道の分岐を示す『道標』があります。佐屋街道はここを左折します。そのまままっすぐ北に向かうと美濃路になります。
JRと名鉄の鉄道上を跨ぎ、「古渡町」交差点へ。かつて、古渡一里塚があったところです。
名古屋の中心市街地、大須商店街、本町通を通り抜け、「伝馬町本町」交差点へ。江戸時代には南東の角に高札場があり、札の辻と呼ばれました。美濃路はここで西に折れて伝馬町通を進みます。
堀川に架かる伝馬橋を渡り右折、美濃路は右へ。すぐに桜通にぶつかり、そのまま直進。都会の喧噪からホッと一息つける落ち着いた道に入ります。美濃路の一本西は『四間道』です。五条橋の袂には街道を示す石柱があります。
外堀通を渡り、幅下2丁目の交差点を左折し、なごや小学校の角に美濃路のルートを示す説明版があります。街道に詳しい鉄のGIOSさんがその存在を教えてくれました。本来の美濃路はこの小学校の中を通り抜けていたそうです。
サンゲツ本社西の幅下公園でトイレ休憩。
国道22号を横断すると「美濃路」の石柱がある交差点を左折して西進します。
ここからしばらく直線コースとなります。
天気予報では全日お日様マークだったのに、雨がぱらついてきました。予報はハズレです。それに非常に寒いです。
庄内川に架かる枇杷島橋を渡って、左折。
緩やかに右にカーブしている細い通りには昔ながらの家並みがところどころで見られます。新川橋東商店街のアーケードがありますが、御多分に漏れず寂れた商店街です。
新川を渡ると、ポケットパークに新川橋の旧親柱や津島道(津島街道)の道標が保存されています。
道なりに進むと、名鉄津島線の踏切を渡った先に橋の痕跡だけで水のない小川の跡があり、民家の庭先に「みの路/一里塚之趾」の小さな碑が立っています。須ヶ口の一里塚跡です。
五条川に出たところで左に曲がり五条橋を渡ります。右折して、北に150m程進んだ左側の格式ある門構えの家が清須宿本陣跡の林家。非常に古いコンクリートの2階建て建物には「キヨス林醫院」の文字が見えます。清洲(清須)をカタカナで表記してあること、「醫院」と難しい漢字を使っていることが時代を感じさせます。
美濃路で最も豪壮な建物の本陣だったそうですが、かつての『本陣の門』だけが残っています。
清洲宿の中心部、街道筋にはこれ以外には伝統的な建物は余り残っていません。鉄道や高速道路の高架で町が分断されてしまっているために、宿場町の面影は少ないです。
門の東に見える『清洲城』は、いかにも模造品といった造りで、風情が感じられません。
名古屋第二環状自動車道(名二環)と並行する国道302号を越えて、街道を進むと、北市場美濃路公園があります。ここで2度目のトイレ休憩です。
その先にある長光寺の門前には「右ぎふ道」「左京都道」と彫られた道標があります。鉄柱で補強がしてあるのは、トラックがぶつかって壊れたためのだそうです。
正面に三菱電機稲沢製作所のエレベーター試験塔が見えてきました。稲沢になぞらえ、173.0(い・な・ざ・わ)mの高さだそうです。
T字路にぶつかり、左折するとJR東海道線の『大垣街道踏切』があります。その手前が四ッ谷追分。そこで右(北)に分かれるのが岐阜街道で、長良川で獲れた鮎を鮨にして将軍に献上するルートとして使われたことから「鮎鮨街道」、「御鮨街道」とも呼ばれています。
先ほどの長光寺にあった道標は、もともとはここにあったものを移設したものです。
美濃路は真っ直ぐ西へ進みます。
踏切を渡って、井之口大坪の交差点を過ぎて、分岐を斜め右に行くのが美濃路。湾曲した道を進みます。
稲沢市民病院、名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)の横を通り過ぎ、西に向きを変えて進み、名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。しばらく直進し、斜め右に曲がり北西に少し進むと稲沢市の小沢地区に。
右手に「小沢一里塚」の説明板があります。
一里塚のすぐ北からが稲葉宿。
西に向かう旧道には虫籠窓(むしこまど)の昔ながらの建物が割と残っていて、風情が感じられます。『稲葉宿問屋場址』などの石碑もかなり立派なものです。
問屋場跡の南側には「右つしま道」の道標が残っています。
稲沢という地名は、旧稲葉村と旧小沢村が合併した時に旧村名から1字ずつとった合成地名だということです(明治8年の合併で稲沢村となりました)。
右に左に折れ曲がって進み、西尾張中央道を渡り一宮市に入ります。
相変わらず、空はどんより曇り、ときにポツリポツリと落ちてきます。
高木一里塚跡の碑は、民家の庭のような所に立っています。
国道155号を越え、名鉄尾西線の踏切を渡ると、左側の真新しいアパートのフェンスに「舟木一夫 ゆかりの地跡」と書かれた説明板があります。そこには昭和の大スター、舟木一夫(本名:上田成幸、1944年生)が1963年(昭和38年)のデビューまで暮らしたという長屋があったそうです。
橋幸夫、西郷輝彦とともに“元祖御三家”の一人です。
舟木一夫と言えば「高校三年生」、そして「銭形平次」の主題歌です。
「高校三年生」は2007年に、文化庁と日本PTA全国協議会によって「日本の歌百選」のひとつに選定された旨が説明板に書かれていました。
赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも
「萩原商店街」のアーチをくぐると萩原宿。
この商店街も人通りはほとんどなく寂れています。
正端寺のあるT字路で街道は北に折れます。少し先に萩原宿問屋場跡・本陣跡の標柱がありますが、建物は残っていません。
日光川を渡り、道がふたたび北向きになる角に公衆トイレがあります。こんな所にどうしてトイレがあるのかというと、そこは市川房枝生家跡なのです。説明板があるだけでほかには何もありません。私もこの説明版を読んで、市川房枝(1893年〈明治26年〉~1981年〈昭和56年〉)が愛知県出身の政治家(元参議院議員)、日本の婦人運動家であることを初めて知りました。
萩原地区は舟木一夫に市川房枝と、2人の有名人を輩出していたことに驚きます。
名神高速道路をくぐって400m余り北に進むと美濃路は道なりに西の方にカーブします。裏道と思えるような細い道は、車も余り通らず良い感じです。
前方に富田一里塚が見えてきました。
美濃路で唯一、街道の両側に塚が現存しています。東西両方の塚の上には榎も植えられています。当時のものではないと思いますが、「ホンモノ」の一里塚で、美濃路沿いの一大スポットです。
左塚の傍らには2基の道標が移設されていて、一方には「左おこし道」「右つしま道」、もう一方には「是より左こまつか渡場道」と刻まれています。
ちょっとした公園になっていて、トイレもあります。
一里塚を出発して50m程先の分かれ道には駒塚道の大きな道標が建っています。
道なりに進むと尾西歴史民俗資料館と別館の起宿脇本陣跡が見えてきます。ここは帰りに見学することにして、通過。
道の向かいの少し北には起宿の「本陣・問屋場跡」の石碑が建っています。
昔ながらの街並みがほどよく残った街道を進むと、本日の折り返し地点となる起渡船場跡に到着です。
すると、メンバーが一人足りません。
くらぽんさんの姿がないのです。
携帯に電話したら、尾西市歴史民俗資料館にいるとのこと。そのままそこで待ってもらうことにし、私達も資料館に向かいました。
尾西市歴史民俗資料館の1階は模型や当時の服などを通して『起宿』の紹介を行っており、2階では近代の地域住民の暮らしぶりなどの用具等を展示しています。
展示の説明によると、起宿は木曽川を控えた渡し船の宿場町でしたので、上・中・下の三か所の渡し場がありました。その内の下の渡し場は船橋河戸(ふなはしごうど)といって、将軍や朝鮮通信使の通行時に船橋を架けて渡したところでした。
館内には何か催し物があるのか、高齢の女性の姿が多くありました。
資料館の女性職員の方に集合写真のシャッターを押してもらいました。
資料館の隣には、林家・脇本陣跡と立派な日本庭園があります。
お昼は、西萩原交差点近くの中華そば「ふじや」で食べることにします。起宿近辺には飲食店が少なく、この店は貴重な存在です。
しかも結構人気のある店で、老若男女、お客さんで賑わっています。
店内は椅子席テーブルが4つ、座敷テーブルが2つあって、私達はちょうど空いた座敷席に案内されました。
メニューは中華そばのみで、餃子とかチャーハンなどはありません。大盛りにするとかトッピングを追加するくらいです。
ほとんどの人が定番の中華そばを注文。
麺はコシがあまりないというか、柔らかい中細縮れ麺で、醤油スープは澄んでいてあっさりめ。トッピングはメンマ、ネギ、チャーシュー、かまぼこ。昔ながらの中華そばで、自分の好きな味です。
素朴というか、飾り気がないというか、懐かしい雰囲気のある中華そば屋です。
帰路は晴れ間も広がり、追い風に乗ってスムーズに走れました。
用足しも西枇杷島問屋記念館のトイレを拝借しただけで済みました。
参加者は四間道や金山などで、順次途中解散し、ゴールの宮の渡しに到着したのは私一人だけになりました。
このような経験は初めてです。
でも、ここが探訪あいちの自由でよいところです。
<サイクリングコース>
宮の渡し公園・七里の渡し(午前8時15分) → 佐屋路の道標 → 伏見通 → 古渡町 → 大須本通 → 本町通 → 名古屋宿 → 伝馬町通 → 四間道 → 幅下公園 → 八坂 → 枇杷島橋(庄内川) → 問屋記念館 → 新川橋 → 五条橋(五条川) → 清須宿 → 県道136号尾西清洲線 → 北市場美濃路公園 → 小沢一里塚跡 → 稲葉宿 → 石橋 → 高木一里塚 → 萩原宿 → 西萩原 → 冨田一里塚 → 起宿・渡船場跡 → <折り返し> → 一宮尾西歴史民俗資料館[見学] →〔昼食〕→ 宮の渡し公園・解散(午後3時20分)
距離:71km
高低差:11m
所要時間:5時間15分
使用自転車:cannondale F700
走行距離:77.0km
<参加者>
白のトレックさん、鉄のGIOSさん、くらぽんさん、hbさん、tomaさん、ひらぽんさん、幹事(まつぼっクリ) 計7人