●2016(平成28)年12月11日(日) 晴
10月29日付けの中日新聞「地名さんぽ」で紹介された『貧乏山』を探しにサイクリングに出かけました。
グーグルマップを見てみると、きちんと「蒲郡市西迫町貧乏山」と載っていて、正式な地名であることがわかります。
定期券を使って名鉄美合駅まで輪行。
馬頭道、そして県道480号美合幸田線を南下します。アップダウンを繰り返しカーブの多いハードな道です。「横落」交差点を左折し、国道248号へ。新幹線のガードを潜ると国道23号になります。しばらく進んで、蒲郡市街地の標識が見えたら左折して県道328号線を西進します。坂道を上ると左手は愛知工科大学のキャンパスです。下って最初の信号機を左折し、道なりに進むと西福寺があり、その先のビニールハウスが建ち並ぶ交差点を左折。軽自動車がようやく通れるくらいの狭い道を上って行くと、「素盞嗚神社」に到着します。
「すさのおじんじゃ」と読みます。教えてもらわないと絶対に読めません。山の斜面に作られた神社で急な階段を上ると、結構立派な本殿があります。
何か寄り合いでもあるのか、老若男女が集まってきました。年配の男性に尋ねてみました。
「この辺りで貧乏山と言われているのはどの山ですか」
「あの山だと思いますよ」と北西の方向を指さして教えてくれました。
みかん畑の先に見える何の変哲もない低い山です。
「ありがとうございます」
自転車を引いて坂を歩いていたら、「こんにちは」と中年のおばさんに挨拶されました。この人にも聞いてみよう。
「貧乏山はどの山でしょうか」
「この辺り一帯の山が貧乏山ですよ」
「そうなんですか、ありがとうございます」
確かに、見渡してみても小高い里山で、これと特定できるような山はないのでしょう。
とても珍けな名前ですが、新聞記事に寄れば、その由来は、郷土史書「塩津村誌」に「干害や災害で年貢を納められない人が、領主の許可を得て山の出入りを許され、雑木を切って薪や炭にして年貢にしたり、町に持ち出して生計を立てた」と記されています。つまり困窮した人々が出入りした山から転じて、貧乏山と名付けられたとのことです。「救いの山」とも言えます。江戸時代から呼ばれてきたのですから歴史ある名称です。
もう1つ、殿様が領地巡見のときに「あの山は何だ?」と庄屋に尋ね、「あれは貧乏な山で狭く何もない」と庄屋が答えたことからという説もあるそうです。
また、北海道函館近くの七飯町(ななえちょう)に貧乏山(標高501m)があり、「山」としてはこちらの方がずっと有名なようです。
帰り道、幸田町郷土資料館の看板を見て、寄ってみることにしました。
古い木造平屋建てスレート葺きで、資料館とは思えないような建物です。館内の展示は、どこの郷土資料館でもあるような昔の生活用品です。
見学者は私ひとりだけです。
「見学に来る人がいるのかな?」
野外には古いジェット戦闘機、ヘリコプターや大砲、潜水艦のスクリューが設置されています。どれも自衛隊の物です。何故このような物が展示されているのか。不思議ですし、屋内の展示物とアンバランスな気がしてなりません。
昼食は、国道248号沿いの「Stand By Me」に入りました。「三河牛100%ハンバーグ」の看板に惹かれたからです。
店内には映画のポスターやグッズが至る所に飾られていて、何となく60年代か70年代のレトロな雰囲気がありました。
注文したステーキ風ハンバーグランチは、大きさも結構あってソースも美味しく、味噌汁、小鉢、ミニデザート付きです。950円で満足できる内容でした。
復路の方が坂の勾配がきつい感じです。ただ、往路で通った道ですから、感覚的には距離は短く感じました。
今日のコースを「探訪あいち」として企画したいと思います。
使用自転車:KHS Manhattan m451S
走行距離:38.0km
走行時間:2時間24分