0110 探訪あいち・東海道スタンプラリー2014

■2014(平成26)年11月23日(日・勤労感謝の日) 晴

 今年で6回目のサイクリングで巡る東海道スタンプラリーです。東海道の宿場や史跡を訪ねながら、食事をしたり、お菓子を食べて、スタンプを押印して貰います。スタンプを3個以上集めて応募すると、プレゼントが当たるかも。

鳴海宿
 丹下の常夜灯から平部の常夜灯までが鳴海宿ですが、今は、鳴海宿よりも間の宿であった有松の方が有名になっています。有松は、屋根瓦、連子格子、なまこ壁で造られた建造物が街道沿いに並び、古い景観が保たれているからです。

 まずは、洋菓子『グランパニエ』で御菓子を買い、一つ目のスタンプを押してもらいます。日曜日はシュークリームが半額なのですが、まだできていないとのこと。

 有松・鳴海絞会館にて二つ目のスタンプ。三つ目は中京競馬場前交差点の手前を右折したところにある高徳院にて。
 ついでに桶狭間古戦場跡にも立ち寄りました。「桶狭間古戦場」と呼ばれる場所は2箇所存在します。一つは、名古屋市緑区にある「桶狭間古戦場公園」、もう一つが、ここ豊明市の「桶狭間古戦場伝説地」(明治12年に国指定の史跡に登録)です。

 競馬場入口交差点を過ぎてすぐに国道1号を離れて旧道へ。道幅も広くて走りやすい。
 アピタ前後店手前の坂を上ると下り坂。スピードの乗って通り過ぎてしまいそうなところに阿野一里塚があります。国史跡に指定され、街道の両側に原形を留めています。

 東海道で国の史跡に指定されている一里塚は、錦田一里塚(静岡県三島市)、大平一里塚(愛知県岡崎市)、阿野一里塚(愛知県豊明市)、野村一里塚(三重県亀山市)の4つですが、うち、2つが愛知県内にあるのは郷土の誇りだと思います。

 再び国道1号に合流。伊勢湾岸自動車道の高架を潜り、脇道に行くと、境川尾張の国から三河の国へ入ります。
 「境川」は国境の川として名付けられるようです。遠江三河の国境にも、神奈川県の藤沢宿にも、伊豆と駿河の国境にも、境川があります。
 ところで、「三河」の国名の由来を調べてみると、「当国に三つの川あり、一に男川(乙川)といひ、二を豊川といひ、三を矢作川といふ。故に三河の国と号す」とあるところから来ているとありました。

池鯉鮒宿
 知立神社は七五三の参拝客で賑わっていました。四つ目のスタンプを押します。
 池鯉鮒という難しい読みの地名は、ここ知立神社の池に鯉と鮒がいたことが由来だそうです。

 知立名物のあんまきの元祖と言われる『小松屋本家』で五つ目のスタンプ。私は藤田屋の大あんまきよりも、この店の方が美味しいし好きです。旅番組の取材も多いらしく、西川きよしウド鈴木らの写真や色紙が掲げられていました。小さな店にもかかわらずお客さんは多いようです。あんまきの他、なぜか釣り道具も売っていました。

 名鉄三河線の踏切を越え、国道1号の地下通路を潜ると、知立の松並木。交通量が多いのが少々苦痛ですが、松のトンネルの中を走るのは気分がいい。
 衣浦豊田道路の高架を潜ると、ほどなく来迎寺一里塚に辿り着きます。民家に隠れてわかりにくいのですが、南北の両塚が残っています。

 両脇に松の木が多く植栽された旧街道を行くと、尾崎東交差点で国道1号に合流。しばらく歩道走行の後、安城街道入口から再び、旧街道へ。矢作川の堤防道路に出ます。
 矢作橋右岸橋詰にある出会之像は、若き日の豊臣秀吉(日吉丸)と蜂須賀小六矢作橋で出会った歴史を留めるために建てられたものです。
 矢作橋は広重の浮世絵にも描かれており、当時の東海道中最大の架橋であったといわれます。

岡崎宿
 矢作橋を渡り右折すると、八丁味噌の郷である。“カクキュー”と“まるや八丁味噌”の2社の味噌蔵があります。
 八帖町という地名は、岡崎城から八丁(約870m)離れていたことに由来します。2006年、NHK連続テレビ小説純情きらり」で一躍脚光浴びました。宮崎あおいの手形のモニュメントもあります。

 板屋町から岡崎二十七曲が始まります。軍事上、直線的に攻められることを防ぐために、ワザと曲がり角をつけたのです。サーキットのシケインみたいなものですが、自転車にとっては走りにくい。でも、案内標識が整備されているのは嬉しい配慮と言えましょう。

 あわ雪で有名な『備前屋』で六個目のスタンプ。130円の麩まんじゅうを1個買っただけなのですが、「手風琴のしらべ」を1個サービスしてくれました。申し訳ない気になりました。

 二十七曲の終着地点には立派な碑が建立されています。
 岡崎インターを潜ると道はやがて大平一里塚に至り、その少し先に西大平蕃陣屋跡があります。ここは、「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相が藩主を務めたときの屋敷でした。大岡忠相は、江戸南町奉行から三河国西大平一万石の大名となったのでした。町奉行から大名となったのは、江戸時代を通じて忠相だけだそうです。
 西大平陣屋は1748年(寛延元年)に築かれ、忠相は約3年間、ここにいたとのこと。享年75歳だというのですから、当時としては大変な長寿といえるでしょう。

 跡地は陣屋跡広場として高麗門や白壁、井戸、西大平藩の所領などを表した庭園が整備されています。庭の中央に聳え立つイチョウの葉が、目にも鮮やかな黄色に色づいていたのが印象的でした。
 陣屋を見学していた男性に、高麗門をバックにしてシャッターを押してもらいました。東京日本橋から東海道を歩いているという方で、休みを利用し、1日10km程度を断続的に歩いて、36日間でここまで辿り着いたとのことです。

藤川宿
 大平橋、蛍橋を通過し、藤川町西の交差点から藤川の松並木へ。
 藤川の松並木は、路面も路肩も整備され、車も少ないから自転車にとって走りやすい道です。御影石製の足元灯がアクセントを添えていて、いかにも石の町・岡崎らしい。

 お昼もだいぶ過ぎたので、今年開業したばかりの道の駅藤川宿『よって味りん』にて昼食。かなり混雑していましたが、なんとか全員、席を確保できました。私は、むらさき麦のきしめんを注文。むらさき麦は、その名のとおり茎や穂の部分が紫色をした麦。松尾芭蕉が「ここも三河、むらさき麦の、かきつばた」と詠んだとように、江戸時代は藤川一帯はむらさき麦が栽培されていました。
 ここで七つ目のスタンプをセルフで押します。

 脇本陣跡の藤川宿資料館に八つ目のスタンプが設置されています。今年になって高札場が復元され、小さな広場として整備されています。
 本日はここで折り返し。岡崎公園に向かいます。

岡崎宿から帰路へ
 岡崎公園内では、グレート家康公武将隊のアトラクションに人だかりができていました。『三河武士のやかた家康館』にて九つ目のスタンプを押します。武将隊の一人と一緒に記念撮影をしてもらいました。甲冑姿のその方は私たちの出で立ちを見て、「格好いいですね」。自転車用のカブト姿と鎧甲とのコラボが絶妙なショットでした。

 午後2時半。岡崎公園出発。やや遅れ気味でしたので、若干、スピードアップしました。
 知立の『両口屋本舗』にて十番目のスタンプ。スタンプ10個のプレゼントはオリジナルトートバッグ。応募した全員があたると良いですね。

 豊明駅前で日進市のhbさん、有松で青いピナレロさんが途中解散。
 なんとか日が暮れる前に日本ガイシスポーツプラザに到着できました。

使用自転車:cannondale F700
走行距離:92.8km
走行時間:5時間06分