0422 暮らしのうつりかわり展

▲2017(平成29)年3月10日(金) 晴

 岡崎市美術博物館の平成28年度収蔵品展「暮らしのうつりかわり」を鑑賞しました。

 かつては生活の主役であった道具や器具もテクノロジーの進展や生活様式の変化で、古くさく不便なものとなってしまい、今では全く見かけなくなった道具があります。

 その一つが足踏みミシンではないでしょうか。脚で踏み板を踏み込むことで動かすミシンで、私の家にもこれがありました。母親は軽やかに踏み板を踏み、洋服を縫っていました。雑巾も瞬く間にできあがりました。
 今は既製服を買い、服を縫う人はほとんどいません。雑巾ですら買う時代です。
 展示されていたのは昭和35年製の足踏みミシン。RHYTHMブランドです。当時の女の人が一番欲しかった道具の一つです。

 白黒テレビも今はありません。素材や形が大きく変わった物の代表でしょう。カラーテレビになり、ブラウン管から液晶になりました。
 テレビ放送が始まったのは昭和28年(1953年)のことでした。そのときのテレビの価格は175,000円でした。高卒公務員の初任給が5,400円の時代でしたから、一般の家庭ではとても買うことができませんでした。ですから、テレビのある家に知り合いや近所の人が集まってきて一緒に見たり、駅前やデパートなどの前に自由に見られる街頭テレビが置かれたりしていました。

 ダイヤル式卓上電話機(黒電話)も懐かしいです。
 私が小学校の頃、自宅に電話はありませんでした。お隣の山際さん宅に呼び出し電話をお願いしていました。
 一家に1台の時代になり、今は携帯電話やスマートフォンで一人1台の時代です。
 展示の黒電話には
 「より早く より明るく より親切に
  県民サービス向上運動 愛知県」
のシールが貼られていました。私が勤め始めた頃の道具です。
 役所や会社の代表電話番号に961-1111とか、51-2111とか、「1」が多かったのはダイヤルを回す間隔(時間)が一番短いからでした。

 二層式洗濯機も姿を消しました。全自動洗濯機の時代になっても、私の実家では二層式洗濯機をかなりの期間使用していました。父親の汚れた作業着を洗うのには、この方が適していたからです。

 懐かしい昔の道具達を見ていると、今の自分たちの暮らしがいかに便利になったか、楽になっているか、重労働から解放されているか、よくわかります。昔の母親の苦労が偲ばれ、改めて感謝の気持ちがわき上がってきます。