▲2017(平成29)年1月22日(日) 晴
前回、1月7日に飛ばしてしまった史跡を巡って、再度、名城線をぐるっと一周するポタリングです。
熱田区の白鳥御陵(白鳥古墳)。
6世紀初めごろ築造の前方後円墳で、日本武尊の御陵との説があり、日本武尊が白鳥となって熱田の宮に飛び来たり、降り立った地であるところから白鳥御陵と名付けられたと言われています。
古渡城跡。
東別院の境内の中に石碑だけがあります。
案内板に
「織田信秀が天文三年(一五三四)築城したといわれる。信秀は、それまで今川氏豊から奪取した那古屋(なごや)城にいたが、その子信長に那古屋城を譲り、ここに移った。信長は、ここで天文十五年(一五四六)十三歳で元服したと伝えられる。城は東西一四〇メートル、南北一〇〇メートルの平城(ひらじろ)で、周囲に二重の堀を巡らしていたといわれる。天文十七年、信秀が末森城に移り廃城となった。
名古屋市教育委員会」
とあります。この城の堀跡を利用した下茶屋公園が東別院に隣接してあります。
小林城跡。
ビルの谷間の非常にわかりにくいところですが、矢場町交差点の南、清浄寺の中に案内板だけがあります。それには「天文(1532~55)のころ、尾張の守護・斯波氏の一族である牧長清が居城し、前津小林四千石を領した。長清は織田信長の妹をめとったが、人々は親しみをこめて、夫人を小林殿と呼んだ。長清は老後、参禅して仏門に帰依したが、その死後廃城となり、元禄年中(1688~1704)ここに清浄寺が建てられた。」とあります。
先ほどの古渡城もそうですが、城跡がお寺になったところが多い印象です。
名鉄瀬戸線旧大津町駅跡。
今の瀬戸線は東大手駅から地下を通って栄町駅まで電車が走っていますが、1976年(昭和51年)までは外堀通北のお堀の中を堀川駅まで、通称『お堀電車』が走っていたのです。そのことを知っていいるのは、私より上の世代の方と鉄道マニアぐらいではないでしょうか。
大津橋南にホームに至る階段だけが残されています。「立入禁止」の立て看板の主は名鉄電車となっています。お堀の部分の所有者は今でも名鉄電車なのです。
名城公園は、ランナーでごった返していました。男性インストラクターから指導を受けている女性ランナーのグループがいくつもありました。ランニング教室に参加しているのでしょう。
サイクリングコースにもランナーがあふれていて、ゆっくりと走行せざるを得ません。
末盛城跡は、城山八幡宮の境内にあります。
天文17年(1548年)、三河国松平氏や駿河国今川氏などの侵攻に備えて織田信秀が築城したのものです。丘城であるため、東山スカイタワーが望める見晴らしの良い所です。
雲雀ヶ丘から、宮本武蔵の碑に向かっていると、以前神戸屋というステーキハウスがあった場所に、『パンのトラ』というパン屋さんがオープンしていました。駐車場は満車で、店の前には長い行列ができていました。そんなに美味しいパンなのでしょうか。一度食べてみたいと思います。
最後に、妙音通南にある小さなお好み焼き屋で、お昼ご飯としてお好み焼きを2枚購入して帰宅しました。
使用自転車:cannondale Jekyll
走行距離:38.2km
走行時間:2時間34分