★2018(平成30)年8月18日(土) 晴
先月、豊川に行ったときに比べれば、かなり涼しくなりました。
それでも30℃以上ありますから、暑いことに変わりはありません。これが平年並みの気温なのでしょう。
今回は豊川海軍工廠平和公園の語り継ぎボランティアのガイドに参加することを主眼に行きました。
「三河国分寺跡」と「三河国分尼寺跡」は施設の前を通過したのみ。赤塚山公園「ぎょぎょランド」は立ち寄りを省略しました。
午前10時に豊川海軍工廠平和公園に到着。
ガイドはちょうど始まるところでした。
青いTシャツを着たボランティアの方2人が、10人ほどの集団を案内してくれました。なかには、戦争を体験したであろう車椅子のお爺さんや、戦争を知らない子供達もいました。
まず、第一火薬庫の見学です。
ラーメン構造のコンクリート造りの構造体に土がかぶせられています。一見、丘のようですが、黒い煙突のような空気孔が上部に何本かあり、下の方にも空気孔があります。湿気を防ぐためのものです。
「これが爆弾の落ちた場所です」
ガイドの方が火薬庫北側の法面の下を指さされました。500ポンド爆弾でコンクリートのえぐられた跡です。
1945年8月7日のB29爆撃機による空襲では、26分間で3,256発もの爆弾が投下され、これはそのうちの1発だそうです。
重さ約230kgの爆弾の威力は凄まじいものだったでしょう。
爆弾は工場中心部に投下されたので、この火薬庫などがある平和公園の敷地内は、投下数が2発だけだったため、ほぼ当時のままの姿で残っているそうです。工場跡地は現在、日本車輌の工場や名古屋大学の研究施設となっています。
火薬庫の中は3つの部屋に別れています。そのうちの2部屋が見学できるように復元されています。外に比べると、2℃~3℃は低いようで少しひんやり感があります。
当時の配電盤や発掘された水道管もありました。水道管には工廠が建設された年の「昭和十四年」と刻印されています。
次に第三信管置き場に案内されました。
信管とは、砲弾や爆弾などの弾頭または弾底に取り付け、炸薬(さくやく)を点火・爆発させる装置のこと。
爆発事故が発生した際に周りに被害を出さないよう、建物の周囲に土塁が設けられています。
壁は厚さが40cm程ありコンクリート製で丈夫な造りですが、屋根は木製で瓦葺きです。これは爆発事故が起きても建物の被害を少なくするためだったそうです。
公園内には防空壕跡が3つあります。いずれも穴が掘られただけの簡単なものです。木製のふたが被さったものもあったようです。こんな溝のようなところで爆風は防げたかもしれませんが、まともに上から爆弾が落ちてきたら、イチコロです。
防空壕というと、地下に造られたトンネルのような穴、洞窟のようなもの、というイメージでしたので、「これが防空壕なの?」と思いました。
「壕」の意味を調べてみると、①土を掘ってつくった穴やみぞ、②城の周囲にめぐらした堀、とありました。
なるほど、溝も「壕」なんですね。
最後にガイドの方が、「小さい子供達にはよくわからなかったかもしれませんが、戦争の悲惨さと平和の尊さを、二度と戦争を起こしてはいけないと伝えていって欲しいです」と結ばれました。
若い世代に継承していくこと、伝えていくことが、平和を守るために必要なことであることを改めて実感しました。
昼食は、国道1号沿いの「奈良天理ラーメン天風豊川店」へ。以前私が企画した探訪あいちで昼食を取った店です。
ここの天風ラーメンは、白菜を煮込んだスープが特徴で他店にはない味です。チャーハンセット(800円)を注文。ボリュームがあってとても満足しました。広い駐車場も一杯で、順番待ちのお客さんが多いのも頷けます。
12時50分頃、美合駅到着。
輪行袋に自転車を収めて、帰路に着きました。
使用自転車:KHS Manhattan m451S
走行距離:46.6km
走行時間:2時間47分