★2018(平成30)年10月14日(日) 曇
杉原千畝は、第二次世界大戦中、ユダヤ人難民に日本通過ビザを発給し多くの命を救った外交官です。その人道的功績を未来へ伝える顕彰施設として、10月12日に「センポ・スギハラ・メモリアル(杉原千畝広場)」が彼の母校である愛知県立瑞陵高等学校(旧制第五中学校)にオープンしました。
見学に行こうと、自宅からウォーキングしました。
瑞穂区内ですから近いです。
オープン2日目とあって、多くの方が見学に訪れていました。
顕彰施設は瑞陵高校の正門脇にあり、誰でも自由に見学できるようになっています。
「決断と希望」
「運命のビザ」
「杉原千畝の生涯」
「歴史と継承」
の4つのゾーンがあり、「決断と希望」ゾーンには、杉原がユダヤ人家族にビザを手渡す等身大のブロンズ像と、ビザを受け取るユダヤ人家族3人のブロンズ像が設置されています。3人は夫婦と子供でしょう。
像の奥には発給されたビザリストの実物大の陶板が並んでいます。
また、出入口近くには2015年に公開された映画「杉原千畝」のポスターも掲示されていました。唐沢寿明が杉原を演じ、夫人役は小雪でした。私も映画館で鑑賞しましたので、懐かしく思い出されました。
校内の『感喜堂』では、パネルで紹介された写真などの資料の実物が特別展示されていました。
杉原千畝は岐阜県八百津町の生まれですが、幼少期の約10年間を名古屋で生活しました。古渡尋常小学校(現・名古屋市立平和小学校)と愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)に通っていました。
このような偉人が瑞穂区に縁があるのは誇りです。
多くの人に「センポ・スギハラ・メモリアル」を訪れていただき、杉原千畝の功績を学んでもらいたいと思います。そして、平和の大切さ、戦争がいかに非人道的な行為であるか、実感して欲しいと思います。
なお、「センポ」は、ビザを発給したリトアニアに赴任していた際、名前を音読みで名乗っていたことにちなんでいます。
使用シューズ:アシックス サルティス
走行距離:3.2km
所要時間:53分