0242 映画「杉原千畝 スギハラチウネ」鑑賞

◆2015(平成27)年12月12日(土)夜 曇のち雨

 妻と娘がイオンシネマ名古屋茶屋に「オレンジ」を観に行くというので、アッシー君となりました。若者向けの上映場所に行くのもはばかれるので、私だけ「杉原千畝 スギハラチウネ」を観ました。

 杉原千畝(1900年~1986年)は第二次世界大戦中、赴任地のリトアニアカウナスにおいて、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民に日本の通過ビザを発給し、6,000人もの命を救った外交官です。
 映画では、戦後70年の時を経て、杉原千畝の信念と覚悟と勇気、そして彼を支えた家族や友情が描かれています。

 映画の冒頭シーン。
 センポ(外国人が「チウネ(千畝)」と発音するのは難しいので、彼は自分の名前をこう呼んでいました)が発給したビザのおかげで生き延びた一人のユダヤ人男性が、センポを探して会うために、日本の外務省を訪れるところから、映画は始まります。
 「そのような外交官はいない」
 男性は必ずセンポに会うと心に決め、外務省をあとにします。

 千畝は、日本政府からの許可なくビザを発給し続けたことを咎められ、1947年に帰国後に外務省から退職勧告を受け、辞職していたのでした。

 映画は、その男性がソ連(ロシア)の地でセンポに再開するシーンで終わります。

 杉原千畝は、1985年にイスラエル政府から「ヤド・バシェム(諸国民の中の正義の人)賞」を受賞し、生誕100年の2000年に外務省が正式に謝罪したことで名誉が回復されました。

 彼は岐阜県八百津町で生まれ、父の転勤で名古屋市中区の古渡尋常小学校(現、平和小学校)に転校し、名古屋の第五中学校(現、瑞陵高等学校)を卒業するまでの約10年間、名古屋で生活しました。
 平和小学校には生誕百周年に「ちうねチャイム」が設置され、瑞陵高校には平和の象徴のオリーブが植樹されています。名古屋市は来年の没後30年に合わせ、彼が学校に通った道を「人道の道」として、功績や名古屋での足跡を紹介する銘板の設置などを計画しています。

 東海地方を代表する偉人のひとりですが、全国的にはあまり知られていません。この映画をきっかけに「杉原千畝」の名前が日本中に流布してもらいたいと思います。
 そうなることで、戦争と平和への関心が高まって欲しいものです。