0151 愛・地球博ボランティアの思い出

◆2015(平成27)年3月25日(水) 晴

 早いもので愛知万博愛・地球博が開催されから今年でちょうど10年になります。今日3月25日は開幕日でもあります。
 私は万縛のボランティアをやっていました。当時の思い出を綴ってみたいと思います。

2005年4月26日(火) 晴
 担当時間:遅番 17:00~22:30
 担当場所:東ゲート
 ボランティア初日。ボランティア休暇を2時間取得し、午後3時半に職場を出る。地下鉄で藤が丘に行き、そこから愛知高速交通株式会社東部丘陵線Linimoに乗車。リニモは、日本で初めて実用化となる磁気浮上システムとリニアモーターで動く鉄道である。藤が丘駅で開業記念リニモカードを購入。「藤が丘」駅から「はなみずき通」駅までは地下、そこから先は高架である。車両は3両固定編成で、普通の列車よりかなり小さく、モノレール並の大きさである。ちょうど神戸のポートライナーのような感じだ。「万博会場」駅まで340円はちょっと高い。
 北ゲートの業務用ゲートで、入場チケットを見せ、ボランティアセンターへ。プレハブの簡単な造りの建物である。
 今日の担当は東ゲート。メンバーは12人である。男は私を含め5人、私より若い(と思われる)人は1人。あとは退職した年配の方だ。女性の方は若い人から年配者までまんべんなくいる感じだ。
 各自、ケアセンター、ベビーセンター、入場ゲート、千年の森の前、と受け持ち場所に分かれる。ケアセンターは、車椅子の貸し出し、ベビーセンターは、ベビーカーの貸し出し、入場ゲートは、案内マップの配付が主な業務となる。
 私が就いた千年の森の前は、植木を剪定して作ったモリゾーとキッコロのオブジェがあり、絶好の記念撮影場所となっている。シャッターを押してあげるのが主な仕事となる。また、ライトアップされたトヨタ館をバックにしての記念撮影もお薦めの場所である。

2005年5月24日(火) 曇
 担当時間:遅番 17:00~21:45
 担当場所:北ゲート
 リニモ万博会場駅前の案内担当。午後8時を過ぎると、混雑が始まり、入場制限が敷かれるようになる。いろいろな方面への交通手段を尋ねられる。
 東北の訛りがある人達から親しく話しかけられたりもすれば、「足の悪い者にこんなに歩かせて」と苦情を言う方もいる。
 「恵那の方にはどうやって帰ったらいいのか」と聞かれ、この人は自分がどういう経路で来たのか覚えていないのかしら(車で送ってもらったのなら仕方がないが)、と思ったりもする。
 千差万別。聞かれて初めて発見する事柄が本当に多い。
 ボランティア〔volunteer〕とは、「志願者」の意で、自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人のこと。ボランティア研修会で、「してやる」ではなく「やらさせていただいている」という精神が基本であり、万博では何よりも、おもてなしの心が大切であることを学んだ。大事なことは見返りを求めてはいけないと言うことである。見返りを求めた時点でボランティアではなくなるのだ。
 なお、ユニフォーム、帽子、バッグ、交通費の一部(1日につき1,000円まで)、活動日の軽食は支給された。

2005年6月16日(木) 曇時々雨
 担当時間:遅番 17:00~21:30
 担当場所:北ゲート
 今日は、グローバルループから万博広場、グローバルハウス、こいの池などに降りる階段・エスカレーター・エレベーター前での案内担当。
 エレベーター前では、車椅子やベビーカーを誘導する。体が不自由でも外に出ることは、大切なことだと思う。
 この日も、記念写真を撮ってあげたり、面食らうような質問を受けたりした。
 「どこのレストランが美味しいか?」
 そんなこと聞かれても、ほとんど食べていないので、わかるわけがない。レストランマップを渡すしかない。
 「マンモスはまだ見られるのか?」
 「日立館にはまだ入れるのか?」
 パビリオンの係員に聞いて欲しい。なかには「ボランティアに聞いてもわからないか‥‥」と呟きながら行ってしまう人もいた。ボランティアが全てわかっているわけではないので、仕方がない。

2005年7月15日(木) 晴
 担当時間:遅番 17:00~21:30
 担当場所:東ゲート
 活動日5日間で最も忙しく、大変な一日であった。
 会場内では、車椅子とベビーカーを無料で貸し出している。この日の私の任務は、車椅子の返却受付と車椅子の清掃業務であった。夕刻から新たに貸し出しを希望する人は、まずいない。
 貸し出しカードに返却時刻などを記入して、車椅子自体を雑巾で丁寧に拭きあげ、倉庫に収納するのである。なかなかの重労働で、4人の担当者は休みなく動いていた。トータル100台ぐらいは対応していたと思う。
 しかし、ベビーカー担当の人たちは、車椅子よりも台数が多いので、更に大変な様子だった。
 車椅子の使用はゲート内が原則であるが、重度の障害者の場合は、東ターミナルのバス乗り場まで利用してもらった。ゲートを出てからターミナルまではかなりの距離がある。車椅子の人には気の毒だ。
 私も2回、ターミナルまで付き添い、無人の車椅子を押して戻った。

2005年8月2日(火) 晴
 担当時間:遅番 17:00~21:30
 担当場所:北ゲート
 最後のボランティアとなった。
 北ゲートの内側で来場者に「会場案内MAP」を配付する業務である。欠席者が多く、4人しかいなかった。若い男女が各1人、中年のおじさんが2人(自分を含めて)である。前回の車椅子の業務に比べれば楽である。ただ、同じ場所に長時間じっと立っていたので、非常に足が疲れた。
 夏休みに入り、連日35℃を超す猛暑のため、夜の来場者が増加した。午後9時半に任務が終わった時点でも、リニモの改札は入場が制限され、大変な行列であった。もう一人の中年ボランティアの方が、「陶磁資料館南」駅まで歩いていって、そこから乗った方が早いですよ、と教えてくれた。
 7月29日から始まった「エキスポ・オールスター・パレード」は、来場者の安全管理上、今日から中止となった。

万博見学
 来場者としては、3月19日、3月26日、8月30日の3回見学に行った。
 3月19日は開会前の内覧会の入場券を職場でいただいた。一人での参加であった。交通手段はマウンテンバイク。自宅から会場までは概ね20kmぐらい。
 平針を過ぎた辺りで、MTBに乗った外国人から「Cannondale is nice bike!」と声を掛けられた。
 彼のバイクも私のバイクもキャノンデールだったからだ。いつ買ったのかと言うようなことを聞かれたので、「1996(nineteen-nine six)」と応えた。
 しばらく併走して、
 「Today is beautful bay. Good ruck!」と言いながら、彼は去っていった。
 西ゲートの自転車置き場に駐輪し、一番近いパビリオンである長久手日本館に入場した。360度の円球スクリーンが呼び物であるらしい。確かに大空や海底の様子は迫力はあったが、所詮は映像なので、まあこんなものか、といった感想しかない。今回の万博、各パビリオンのほとんどがヴァーチャルなのである。正直、本物を見たい、本物に触れたい、と強く感じた。いくら仮想現実を見ても感動は湧いてこない。