◆2020(令和2)年6月6日(土) 曇
一応の目的地を一色さかな広場とし、2時間半で行けるところまで行って折り返すことにします。
大高緑地公園、共和、大府を通って南下します。
赤信号で止まっていたら、後ろから2人のローディーが突っ走っていきました。
信号無視はいけません。決して交通量が少ない訳ではないのです。ドライバーや歩行者から非難されるような乗り方は絶対に止めましょう。
国道366号を南に向かって走るのは初めてです。
大型トラックが横が次々と走り抜け、交通量が多いです。
しばらく走って、道路下に脇道があることに気づき、そちらに移動しました。路面状況は悪いですが、ときおり農作業の軽トラックが通るだけなので安心です。
半田市に入り、州の崎町交差点を左折。
常時渋滞することで名高い衣浦大橋を渡ります。
橋上で車道走行は危ないと思い、歩道に避難しました。
対岸から自転車3台がやってきました。
狭い通路ですので自転車のすれ違いは困難です。すると、先頭の自転車の方が降りて立ち止まってくれました。2台目も3台目も同じように止まってくれました。
「ありがとうございます」
お礼を言って橋を渡りました。
高浜市かわら美術館前で小休止。美術館は新型コロナの影響で閉館中です。
道なりに県道を南下します。
すると、右手に愛知県立高浜高等技術専門校がありました。
この学校は職業能力開発課と就業促進課に勤務していたとき、何度か訪れたことがあるところです。
懐かしさも手伝って立ち寄ってみました。
校門は閉められ、「高浜高等技術専門校は平成31年3月31日に閉校しました。」と書かれた張り紙があり、工事関係者以外立入禁止となっていました。
高等技術専門校はかつては職業訓練校と呼ばれていました。職業に必要な技能と関連知識を身に付けるための学校です。
旋盤やフライス盤など、手作業が主だった時代は訓練生が多くいましたが、オートメーション化された工場では、そうした需要が減ってきました。民間企業は最新鋭の機械を導入します。しかし、県では予算がなく、時代遅れの機械ばかりです。当然、訓練生は集まりません。
職業訓練校は、時代の流れの中でその役割を終えたと言ってよいでしょう。
私が職業能力開発課に在籍していた昭和の終わりから平成の初め頃、もう30年以上前のことですが、既に職業訓練校(高等技術専門校)の再編や見直しが検討されていました。
その当時、私自身、訓練校なんて時代遅れではないか、もう必要ないんじゃないか、と実感していました。企業の設備と比較して雲泥の差、絶望的な差があったからです。
それでも、自ら改革できないのが役所の悪いところ。特に幹部職員は、自分の代で組織をなくすことに非常に大きな抵抗感を持っています。
令和の時代が始まろうとする直前になって、ようやく統廃合が成されたのです。遅すぎたと言っても過言ではありません。
もちろん、自分も若干関わった施設ですから、廃止になることに一抹の寂しさはあります。
しかし、時代の変化に伴い、仕事も変わっていきます。行政の役割も変化していきます。
そう言えば、私は働き始めた頃、「環境部(現在は環境局)」なんて組織はありませんでしたが、今は時代の先端を行く仕事になっています。
もう一つ思い出があります。
私が30代前半の頃にお世話になった上司が、この高浜専門校の校長職を最後に退職されました。
強面で厳しい方でしたが、親分肌で部下の面倒見がよく、幹部職員から私達を守ってくれました。
文筆家で、作家の開高健(かいこうたけし)と知り合いだと話されていました。そのため文章には厳しく、よく指導された覚えがあります。
残念ながら、退職後すぐに癌で亡くなられました。
今の私は、その方が亡くなった年齢になりました。
高浜から碧南に入り、おしっこがしたくなりました。
スーパーマーケットのピアゴの隣に小さな公園があり、トイレを見つけたものの、感染症対策で閉鎖されていました。仕方なくピアゴのトイレを拝借した次第です。
天王交差点を左折し、碧南中央駅、碧南市役所を通過して、さらに南へ。
矢作川に架かる中畑橋を渡ります。
標識を見て、あれっ?
中畑橋西交差点のローマ字表記は「Nakabata」となっているのに中畑橋東交差点は「Nakahata」となっていました。川を挟んで碧南市と西尾市で読み方が違うのもちょっとした珍事実です。
時刻は午前10時を回りました。
西尾市の寺津大明神交差点にて折り返します。あと6kmで一色さかな広場ですが、時間的に無理です。
来た道をそのまま走ります。
イオン東浦店でトイレ休憩。ついでにスイーツのお土産を買いました。
使用自転車:Panasonic POS チタンエンデュランスロード
走行距離:73.6km(累積1,674km)
走行時間:3時間51分
所要時間:5時間32分(7時42分~13時10分)