0833 岐阜街道(御鮨街道)サイクリング

◆2020(令和2)年1月5日(日) 晴

 年末年始の休暇も今日で終わり。
 明日から通常の仕事と日常生活が戻ります。
 休みの間、天候にも恵まれ、ある程度やりたいこともできました。

 人は仕事を離れたオフの時に人格や魅力、地が出ます。素の自分が現れます。
 オフの時こそ、やりたいと考えていることをやりたいものです。「いつかやろう」と思っているだけでは、おそらく永久にできないでしょう。と言うより命がなくなっている、いや、その前に老いて体が動かなくなって、何もできなくなっているでしょう。
 林修先生の台詞で言えば、「いつやるか、今でしょ!

 今日は、南の知多半島灯台ラーメンを食べに行くか、それとも岐阜街道で北に行ってみるか、迷いましたが、走ったことがない岐阜街道にします。

 岐阜街道は、旧美濃路東海道熱田宿から中山道垂井宿)の四ツ家追分より分岐し、笠松経由で岐阜城下までをつないでいました。四ツ家追分から北が「御鮨街道」又は「鮎鮨街道」とも呼ばれていました。こう呼ばれるのは、江戸時代に岐阜の町が尾張徳川家領となり、長良川の鵜飼が尾張名古屋藩の直轄事業となったことで、長良川で獲れた鮎を塩漬けにして樽に入れて寿司(鮨)にし、名古屋城尾張藩主や江戸城の将軍家に直送されたことに由来します。岐阜街道は尾張名古屋藩の領内統治上の重要街道だったわけです。

 大まかにいうと、熱田神宮脇から大須観音脇を抜け、桜通りの手前にある伝馬町通りを西に進み、日銀裏から堀川を横断します。そのまま、国道22号を横断して、22号の一本北の道を直進し、西枇杷島へ進みます。渡って、西に進路を変え、須ケ口駅前を直進し、清州へ入ります。ほぼ東海道本線と並行して稲沢に進み、四ツ家の追分から、右に分岐します。

  真清田神社まで進み、神社の脇から北上します。旧国道22号(現在の県道190号)としばらく並進します。JR木曽川駅北付近で左折し、名鉄黒田駅北を渡って北西へ進みます。木曽川を横断し、笠松競馬場西を北に進み、中山道加納宿付近で、一部中山道と重複し、JR岐阜駅の東側から金華山の西側を通り、長良川まで直進する、というのが主なルートです。

 と言っても、本日は清洲から先は県道67号線、190号名古屋一宮線をそのまま真っ直ぐ進むことにします。

 往路は北上するため、北風を正面から受けます。速度は20km以下。
 これでは日の明るいうちに、とても岐阜市まで行って帰れそうにありません。岐阜市は次回にし、今日は一宮で折り返すことにします。

 復路は追い風。10kmぐらいのスピードアップです。

 昼食は県道沿いにあった麺屋はやぶさ稲沢店に入ってみました。昨年12月にオープンしたばかりの店です。
 11時半の開店時間に店の前に着きましたが、既に満席で、45分待つことに。

 基本のメニューは、はやぶさタンメン(780円)、泡鶏しょう油(880円)、オマール海老湯(980円)の3品。
 どれにしようか迷いましたが、「4種類のニボシと昆布でしっかり出汁を取ったスープ」の謳い文句にそそられ、泡鶏しょう油らーめんにしました。
 表面が白く泡立っていて、今まで食べたことのない個性的なラーメンです。真ん中に白いものがトッピングされています。どうもポテトサラダのような感じです。
 エスプーマ(ESPUMA)はスペイン語で「泡」を意味するそうで、亜酸化窒素を使い、あらゆる食材をムースのような泡状にすることができる画期的な調理法とのことです。

 麺もスープもとても美味しくて、完食。45分待って食べただけの価値はありました。機会があったらまた食べてみたいと思います。

 名古屋市内に戻り、堀川沿いを走っていたところで、サイクルコンピューターの距離表示が急に「0」になってしまいました。リセット操作はしていないのに、何か誤作動があったのでしょうか。2001年4月から19年も使っていますから、そろそろ寿命が来たのかもしれません。
 それにこのメーターはオートスタート・オートストップではありません。信号待ちで止まっていても時間は進みます。ですから実走行時間が計測できないのです。
 そんなに高いものではありませんから、買い換えてもいいのですが、愛着もあるので動かなくなるまで使うつもりでいます。

使用自転車:Bianchi AXIS シクロクロス
走行距離:49.0km(累計7975km)
所要時間:5時間55分(8時55分~14時50分)