0356 鯖街道・若狭熊川宿へ

●2016(平成28)年9月24日(土)  曇

 馬籠、妻籠、奈良井、関、有松‥‥‥、宿場町を観光資源として活用し、賑わいを創出しているところです。そんな宿場町の一つ、以前から訪ねてみたいと思っていた福井県の熊川宿へ、連休の一日を使ってサイクリングに行きました。

 JR金山駅、朝6時ちょうど発の普通大垣行きに、ビアンキを詰めた輪行袋を担いで乗車。例の如く先頭車両の後部乗降扉からトイレ前へ。ところが、古い車両だったので車椅子スペースはなく、4人掛けのボックスシートがありました。仕方なく、その座席の後ろに輪行袋を置き、着席しました。
 大垣駅で6時52分発の普通米原行きに3分の短時間で乗り換え。今度も古い車両でトイレの前は座席付き。そこには少しヤクザ風の強面の兄さんが、携帯で通話しながら足を投げ出してシートを独占していました。自転車を立てかけるところもなく、手で支えながら立っていました。
 米原駅北陸線に乗り換え、さらに長浜駅で2両編成の近江塩津行きに乗り換え。
 余呉駅から5つのトンネルを潜り、8時25分、近江塩津駅到着。北陸線湖西線の分岐駅です。
 輪行袋を担いで長い階段を下りていたら、
 「サイクリングですか」とお爺さん。
 「ええ、そうです」
 関心を持ってもらえて嬉しいです。

 国道8号を1.5km程進み、道の駅「塩津街道あぢかまの里」の手前T字交差点を右折して国道303号へ。ここから今津まではツール・ド・あいちロングライド琵琶湖で走り慣れた道です。

 琵琶湖サイクルラインはいつ走っても爽快です。今日は何か大会でも開催されているのか、と思うほど沢山のサイクリストとすれ違いました。

 赤い彼岸花が咲き乱れた園地に目が行きました。カメラを手にした大勢の人たち。『桂浜園地』の標識がありました。私も自転車を降りて、美しい花の群生をカメラに収めました。

 実はここを過ぎたT字路を右折すれば良かったのですが、直進してしまい、道に迷う羽目に。今津駅まで走って、行き過ぎたことに気づきました。
 駅前の観光案内板で確認して国道303号に辿り着けました。

 国道8号ほどではないにしろ、大型トラックが往来します。路側帯のない狭い道で大型車が迫ってきても逃げ場所がありません。恐怖感と同時に、恐縮した気持ちでペダルを漕ぎます。トラックは物流で経済を支えているわけですから、仕事のドライバーと遊んでいるサイクリストとは道路を使う重みが違います。

 水坂トンネルまでは上りです。
 道路を真っ直ぐにする改修工事が行われていました。新しくなった道路は路側帯もある程度幅があり、少し安心して走ることができます。道路整備が進むことを期待します。

 初めての道は不安もあります。特にトンネルがあると、自転車が通過できる道幅かあるだろうか、歩道があるだろうか。自転車を押して歩かないと行けないのかな。国道8号の賤ヶ岳トンネルのようにトンネルを避けて峠越えをする羽目になるか。行ってみないとわかりません。
 人生を生きるのと同じです。

 保坂(ほうざか)の三叉路、左へ行けば京都へ、右に行けば若狭への道。右に進路を取ってしばらく行くと、心配していたトンネルが見えてきました。
 右側に歩道がある‥‥
 車の往来が途絶えるのを見極めて、道路を横断。前照灯を点けてトンネルを通過しました。
 さらに、寒風トンネルを抜けると、『福井県若狭町』の標識、そして『道の駅若狭熊川宿』の標識が目に飛び込んできました。
 県境を越えるのは、なんだか違う国に入った感じもあります。江戸時代の人達も近江国から若狭国に入ったときは、そんな感覚を抱いたのではないでしょうか。

 11時15分、熊川宿到着。約40kmの道程でした。

 「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、熊川を経て、滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬より京都への道を言います。熊川宿は日本海と都を結んだ中継地でした。
 古代から、若狭の国は、朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)のひとつでした。日本海で獲れた魚介類が京都へ運ばれ、若狭人の間では「京は遠ても十八里」と言われるようにもなりました。江戸時代以降、小浜で水揚げされた鯖を一塩して若狭街道を通って京へと運んだことから、「鯖の道」、そして「鯖街道」と称されるようになりました。

 道の駅の裏手の旧街道に回ると、緩やかにくねった道沿いに町屋造りの建物が続きます。
 宿場は東西に約1,100m。街道の入口には平屋の「熊川番所」が復元され、二体の役人の人形が、当時のように往来に目を光らせています。その番所から小浜方面へ坂を下るように、上ノ町、中ノ町、下ノ町と続きます。自転車に跨がっているだけで、そろそろと動いていくので下り坂なのがわかります。

 熊川宿は1996(平成8)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、2015(平成27)年には「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産の認定を受けました。
 しかし、小浜側の入口折り返し、今来た街道を戻ってみると、それぞれの建築物が現代風にカスタマイズされたと言うか、アレンジされたと言うか、古い町並みの情緒が余り感じられません。復元された建物が多いからか、整備され過ぎているからでしょうか。それに廃屋が目立つのも気になりました。せめて野ざらしにされた家財道具くらいは片付けてください。ちょっとがっかりです。

 熊川宿は山に囲まれています。道の駅から見える山々の木々の一本一本が、三角形に剪定され、整然と並んでいる様は、まるで絵画を見ているかのようです。川の流れも清らかで、自然の豊かさには感動しました。

 1時間ほど散策し、帰ることにしました。1台のローディが道の駅に入ってきて、お互いに軽く会釈。オートバイのライダーは大勢いましたが、ロードバイクはそのおじさん一人だけでした。

 水坂トンネルを越えた保坂交差点角、周りに民家がない所にぽつんと校舎が。
 こんなところに、なんで学校があるの?
 高島市立今津西小学校です。鎖で閉鎖された校門の横に「閉校の碑」がありました。石碑の裏を覗くと「平成27年3月閉校」と刻まれていました。児童のいなくなった学校が、山間の過疎地の寂しさを物語っています。

 復路は下りですから、楽ちんで軽快です。
 今津総合運動公園、箱館山を通過すると、行きに立ち寄った桂浜園地です。
 琵琶湖一周のときとは反対回りに走る湖畔道路は、新鮮に感じます。

 時計を見ると、近江塩津駅15時05分発の電車まで余り時間がありません。夕方の混雑を避けるには、これに乗らないと、次の電車は1時間後になってしまいます。残りの距離を考えると、峠越えで疲労した脚に鞭打ってペダリングを続けないといけません。

 岩熊トンネルを何とか14時半頃越え、近江塩津駅に到着。急いで輪行袋に自転車を詰め込み、切符を購入して、ホームへの階段を駆け上がると、当駅始発、播州赤穂行きの電車が待っていました。
 4両編成の最後尾、乗務員室の前に輪行袋を置き、そこに一番近い座席に座りました。
 乗客はまばらでしたが、停車駅ごとに増え、米原駅で降りるときにはかなりの人が立っていました。
 16時ちょうど発の大垣行きに乗り換えです。これで、17時半頃には熱田駅に着けるでしょう。

 ところが、です。近江長岡駅を発車して、まもなく柏原駅というところでした。突然電車が止まり、照明が消えたのです。
 何が起こったのか。
 「ただいま、変電所に職員が向かっております。しばらくお待ちください」
 女性車掌のアナウンス。停電です。
 エアコンも止まり、「ご迷惑をおかけします」「お急ぎのところ、申し訳ございません」と女性車掌が窓を開けてまわります。電力維持のため、車内放送設備も使えなくなってしまいました。
 いつになったら動くのか。
 せっかく、予定どおりの電車に乗れたのに、夕方の混雑時間帯になってしまう。
 災害ではないので、そんなに長く閉じ込められることはないだろう、と思っていましたが、結局、55分遅れて大垣駅に到着しました。
 ホームは通勤時間帯並みに混雑しています。
 乗車できたのは、17時55分発の豊橋行き特別快速。輪行袋を持った私は、周りの人には迷惑だったでしょう。肩身が狭くなりました。

 名古屋駅で普通電車に乗り換え、熱田駅で下車。自宅に着いたときは、時計の針は19時を回っていました。

使用自転車:Bianchi AXIS シクロクロス
走行距離:92.0km
走行時間:5時間39分