0225 中山道で関ヶ原ウォーランドへ(浅野祥雲の作品を訪ねて)

◆2015(平成27)年10月12日(月・体育の日) 曇のち晴

 浅野祥雲の作品を訪ねる企画第3弾の下見に行きました。
 目的地は『関ヶ原ウォーランド』。
 せっかくなので、中山道経由で行くことにしました。
 昨年5月2日に近江八幡へ行った帰り、米原から、醒井、柏原、今須、関ヶ原、垂井と走ったので、2度目の中山道です。

 JR岐阜駅を出発し、西に向かいます。
 昨日図書館で借りてきた『ちゃんと歩ける 中山道六十九次 西 薮原宿~京三条大橋』をサイクルジャージの後ポケットに入れています。初めての道なので、地図と実際の道を比べ、交差点などでは、こっちで良いのか、あっちかなと、時折迷いました。
 「この道は旧中山道です」という標識や宿場間の距離を示した標識が、要所要所に設置されているので、ルートを外れることはありませんでした。

 清流長良川に架かる河渡橋を渡ると、河渡宿に入ります。
 河渡の一里塚跡の奥には松下神社が祀られています。1815年(文化12年)、河渡宿は未曾有の洪水に見舞われ、時の代官松下内匠は、幕府の助成を得て、宿場全体を五尺余り(約1.5m)地上げしました。これに感謝した宿人が神社と顕彰碑を建立したのです。

 生津(なまづ)小学校前で地図を確認していたら、中山道ウォーカーの熟年カップルに
 「どちらまで行かれるんですか?」
 「関ヶ原まで行きます」
 「私たちは垂井まで歩く予定です」
 その後も何組かの歩き人を見かけました。東海道と同じように中山道もウォーカーがいるんですね。

 美江寺宿瑞穂市にあります。樽見鉄道の踏切を渡ってから美江神社辺りまでが宿場の中心部のようです。神社の境内には高札場が復元され、「美江寺宿」の立派な石碑が建っています。

 大月浄水場公園にあった図書館でトイレを借りました。ここまで沿道にコンビニがなかったことに気づきました。

 小簾紅園(おずこうえん)・和宮遺跡は、孝明天皇の妹である皇女和宮が、1861年(文久元年)徳川家茂の元に嫁ぐため、中山道で江戸に下った折、呂久川(揖斐川)の呂久の渡しを利用した際に、

 「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」

の和歌を詠んだという。このことを記念して、1929年(昭和4年)に開園しました。

 杭瀬川を渡ると赤坂宿。
 赤坂港跡? なぜこんな所に港があったの?
 海運業が盛んだった明治時代、豊富な流量があった杭瀬川は、舟運に好都合であったため、ここ赤坂の地に船留まりが造られ、赤坂港となったということです。当時は、材木、石灰、米などを名古屋に積み出していましたが、大正時代に美濃赤坂線の鉄道ができて、舟運業は衰退したのでした。

 そのすぐ脇に赤坂港会館があります。ハイカラな雰囲気の洋風建築の建物です。
 入館無料という文字に引きつられ、中に入ってみると、年配の女性から、解説を受ける羽目になりました。
 「金生山をご存じですか」
 「いえ、初めて来たので知らないです」
 金生山は、大理石や石灰がとれる山とのこと。石灰は鉄道で名古屋に運ばれるそうです。
 館内には金生山で取れた大理石で造られた壷や昭和時代の赤坂周辺の古い写真などが展示されていました。
 「初めてでしたら、古墳に行ってみてください」

 「昼飯大塚古墳」
 「ひるめしおおつかこふん」? いえ、違います。「ひるい」と読むそうです。
 東海地方では最大級の前方後円墳とのこと。ただ、あまりに綺麗に整備されすぎて、人工物のような感じがしました。

 垂井宿には枡形が残っていて、道自体は当時の原形をとどめているようでした。ここで、初めてサイクリストとすれ違いました。

 JR東海道本線と国道21号を横切ると、大きな木がそびえ立つ垂井の一里塚が目に飛び込んできました。今日のコースの中で唯一塚が現存していました。しかも当時の姿のまま残っています。ただし、南側の塚のみです。中山道で完全に残っているのは垂井と東京板橋区の志村の一里塚だけで、貴重な遺跡です。

 再び国道を横切ると、旧道の面影を残した幅の狭い道に入ります。道の両脇に松が並んでいました。野上の松並木だそうです。
 関ヶ原東町からは旧道は途切れ、国道を走らなければなりません。

 正午を過ぎ、お腹が空いてきました。駅周辺なのに飲食店がありません。国道365号を北上していたら、昭和の香りがする古い喫茶店がありました。この先に行っても飲食店はないだろうと思い、その店に入りました。

 「本陣」
 いかにも関ヶ原らしい店名です。
 お婆さん2人がウエイトレスで、おしゃれな雰囲気はありません。
 注文した焼きそば定食は、鉄板に乗って熱々ですが、なぜか目玉焼きが焼きそばの下にありました。

 午後1時過ぎ、目的地に到着。
 観光バスも停まっていて、意外と観光客がいました。
 関ヶ原ウォーランドは、天下分け目の関ヶ原の戦いを再現した合戦資料館です。
 園内では、徳川家康石田三成の東西両軍の武将や足軽を極彩色のコンクリート像で再現しています。このコンクリート像の作者が浅野祥雲なのです。

 どの像の顔も同じように見えます。顔だけ見ると、家康も三成も区別が付きません。とにかくカラフル、そしてユーモラスでどこか漫画チックな作風は、日進市五色園のコンクリート像と全く同じです。人によっては気味が悪いと感じるかもしれません。
 1964年(昭和39年)開園ということで、かなり古い施設です。200体以上あるコンクリート像も、ペンキを塗り直し中の物もありました。
 30分ほど見学して、退園。入場料500円は妥当な線でしょうか。

 ここから垂井の追分までは中山道を走り、美濃路経由で大垣まで約18km。
 野上の松並木で、ローディ2人に抜かれました。

 奥の細道結びの地、大垣城前を通って駅に至ります。駅前商店街の金蝶園総本家で栗きんとんと金蝶園饅頭をお土産に買いました。
 もう少し余裕があれば見学したいところが沢山あったのですが、夕方になると電車が混んで輪行袋が他のお客さんの邪魔になります。

 15時26分発の豊橋行き特別快速に乗車し、帰路に着きました。

使用自転車:KHS Manhattan m451S
走行距離:62.7km
走行時間:3時間58分
輪行区間:往路 金山 7:57 → 岐阜 8:23(540円)
     復路 大垣 15:26 → 金山 16:06(840円)