◆2015(平成27)年5月17日(日) 晴
国道1号を通るたびに気になっていた、下之一色商店街に行きました。
「入口
いらっしゃいませ
下之一色商店街へ」
こんな看板が国道に面して立てかけられています。
喧噪の国道から一歩、その通り道に入ってみると、そこは静寂に包まれた、別世界でした。
なんというのでしょうか。そう、あの「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界にタイムスリップしたかのようなノスタルジックな風景が、そこにはあったのです。
ハイエースではなく、オート三輪ミゼットが似合う、昭和30年代前半の古い古い町並みだと思います。
300mぐらいのメインストリートの両側に100軒以上の店があったと思いますが、営業している店を数えてみると、薬局、青果店、菓子屋、呉服店、喫茶店、お好み焼き屋など8軒ぐらいでしょうか。『正色市場』はシャッターが下ろされ、ほとんどの店は、もう何十年も扉の開閉がされていない様子でした。
極めつけは商店街のほぼ中心にあった銭湯でした。
大正ロマン漂う立派な建物で、
『湯スビヱ』
と右から始まる横書きの文字が時代を物語っています。
よく壊さずに残っていたものです。おそらく昭和20年代に建てられたものに違いありません。まさしく遺物ではないでしょうか。感動してしまいました。
商店街を通り抜け、新川沿いを走ると、見えてきました。「下之一色魚市場」です。
下之一色は庄内川と新川が合流する三角州にあり、漁村として発達した村でした。
江戸時代には魚行商の起点として「名古屋の台所」と位置づけられ、そして、魚師の町として栄えたそうです。
ところが、伊勢湾台風をきっかけに防潮堤が整備され、漁業は廃れていったのでした。
魚市場は、伊勢湾で捕れた魚が並び、活気に満ちあふれていたに違いありません。ヱビス湯では、仕事を終えた魚師達が汗を流したのでしょう。商店街には、物を求めて魚師やその家族が集まって来たのでしょう。
商店街に、今はその面影はありません。漁業の衰退とともに、商店街もその役割を終えたのです。
下之一色魚市場は、現在も他所で採れた魚をトラックで運んで来て、細々と市を営んでいるそうです。
魚市場の向かいには「松波サイクル」がありました。ボロボロの廃墟のような古い店です。修理しかけの自転車の横で、お爺さんがパイプ椅子に座って、煙草を煙らせていました。
その後には、今はもう扉が開くことのない『新元湯』のレトロな建物がひっそりと残っていました。
使用自転車:cannondale Jekyll
走行距離:27.5km
走行時間:1時間53分