■2014(平成26)年8月2日(土) 曇一時小雨
水門を抜けると、そこは長良川だった。
木曽川の流れに乗って下ってきた観光船「葛木丸」は、20分ほどで「船頭平閘門」の前に着きました。
船頭のYさんがコン、コン、コ~ンと紐を引っ張って鐘を鳴らします。国土交通省の係の方が水門を開ける操作を始めました。
船がゆっくり閘門の中に入ると、水門が閉じられます。すると、徐々に水面が上昇していきます。岩の隙間から沢蟹たち現れて陸の方に逃げていきました。長良川と木曽川の水位は最大2mほどあるそうですが、今日は50センチほどの差しかないとのこと。
水位が長良川と同じ高さまで上昇すると、長良川側の水門が開きました。
船のエンジンが動き始め、船はゆっくりと長良川に進みます。
これが、愛知の小パナマ運河、重要文化財の「船頭平閘門」です。
パナマ運河やスエズ運河の通行料は2千万から4千万円かかるそうですが、ここはタダ。かつては木材や物資を積んだ船が年間2万隻も行き来したそうですが、今は漁船やレジャーボートの通過に1日5、6回使われるだけとのこと。
観光船の運航は2012年7月1日から始まりました。定員12名の小さな船は木曽川の渡し船として使用されていました。渡船としての使命を終えた後、愛西市が観光船として壊れるまで使いたいと愛知県に申し入れ、譲り受けたのです。運営は「愛西市観光協会」が担っています。
葛木港、と言っても「観光船のりば」の表示があるだけで桟橋も何もありません。
今日の乗船者は私たち4人の他は甚目寺から来たというご夫妻と併せて6人でした。
船の操縦はSさんとYさん、ガイドはIさん。全員ボランティアだそうです。Iさんは現役時代は中日新聞の記者、方言の研究家でもあり本も出版、最近までサイドカー付きのハーレーダビットソンに乗っていたそうです。乗船中、方言のうんちくを様々披瀝してくれました。Sさんは現役の郵便局長。皆さん無償で観光船の仕事をされて、その郷土愛に敬服します。
船は時速40kmで実になめらかに水を切って水面を走っていきます。聞くと今年の4月にエンジンを新しくしたとのこと。どうりで調子がいいはずです。
長良川を北上した船は、愛知、岐阜、三重の3県の県境で止まりました。正面には木曽三川公園の高さ65mの展望タワー、左手には千本松原が見えます。ガイドさんによると、右手には立田南部小学校福原分校があります。愛知県唯一の分校で、生徒4人、先生5人だそうです。
県境でUターンし、船頭平閘門で下船。
国土交通省の管理事務所も兼ねた木曽川文庫には、船頭平閘門の模型がありました。水門の開閉や、閘門内の水位の上下など、実によくできた模型です。
船頭平閘門は明治35年(1902年)に当時のお金で16万円、現在の貨幣価値に換算すると約5億円で建設されたそうです。職員の方は、建設から百年、次の百年までこの文化財を残していきたいと語っておられました。
再び乗船し、閘門に入ります。今度は水位が下がっていきます。
水門を抜けると、再び木曽川です。
川を渡る風は、真夏なのに涼しく、なんと爽やかなことでしょう。気持ちよすぎて眠ってしまいそうです。実際、ウトウトしている人いました。
約2時間のクルージング。思ったほど船は揺れず、快適な船旅でした。乗務員の皆さん、ありがとうございました。
正午、ちょうどいい時間に道の駅立田ふれあいの里に到着。レストラン立田にて昼食です。
白のトレックさんと私はレンコンの蒲焼き丼を注文。消費税が上がったのに昨年と同じ500円だったのには感動です。
午後は、祖父江緑地までサイクリング。
三里の渡し址、佐屋代官所址を訪ね、海部幹線水路(通称佐屋川用水路)沿いの道を行きます。
八開中学校南に、マルジマ・コロンブスの碑があります。初めて渡米した愛知県民で、北米移民の先駆者である山田芳男氏は「マルジマ・コロンブス」と呼ばれました。彼の功績をたたえた石碑です。
祖父江緑地、ワイルドネイチャープラザから木曽川を見ると、たくさんのウインドサーフィンを目にしました。
ぽつぽつと雨が落ちてきました。
ここで扶桑町のFOUCSの山田さんとはお別れ。3人で道の駅に向かい、本日の探訪あいちは幕を閉じました。
使用自転車:KHS Manhattan m451S
走行距離:43.4km
走行時間:2時間19分